項羽と劉邦
実質の頭領だった項梁を失った楚軍は意気消沈でしたが、項梁の後をすぐさま引き継いだ人がいましたー。
項梁の甥っ子、項籍ですー。
姓が項、名は籍、字が羽で項羽と呼ばれるのが一般的ですねー。
懐王は項梁の後がまに初め、宋義という人物を任命しましたー!
そして意気消沈する楚軍を発奮させるために懐王之約を出しましたー!
「関中に1番最初に入った者を王とし、その他はその家臣とする!」
これを受けて楚の将兵は一路関中を目指しましたー!
項羽は叔父の仇章邯を討ち取りたいため、秦の主力三秦を討ちに出かけた宋義の配下になりましたー!
しかし、宋義はモタモタしていて一向に戦おうとしませんでしたー。
宋義は楚軍が関中に入るまで秦の主力である三秦を鉅鹿に釘付けに出来ればそれで良いと考えていた節がありますー。
項羽は、叔父の仇章邯をさっさと討ち取って関中到達レースに早く加わりたいと考えていたため、二人の思惑はズレズレでしたよー。
業を煮やした項羽は、宋義は斉国と連携して謀反を起こそうとしている!
と謀反の罪をでっち上げて殺害し、自ら宋義の次の上将軍となりましたよー。
楚の上将軍となった項羽は早速叔父の仇、章邯を討ち取りに出掛けましたよー!
陳勝、呉広、楚に呼応して反乱を起こした趙国、その全てを鎮圧した章邯は秦の名将として確固たる地位を築いていましたが、趙高はその名声を妬み嫌がらせを繰り返したため、三秦と呼ばれる将軍の1人、司馬欣の説得を受け、章邯は楚軍に降伏しましたー。
腹の虫が治まらない項羽は三秦の3名の降伏は受け入れましたがその他の将兵は全員生き埋めにしてしまいましたー。
こうして項羽は極悪非道の人物として秦人にそして味方からも恐れられることとなりましたー!
三秦という主力を失った秦は総崩れとなり、楚軍は一気に都まで攻め上がるのみという状況になりましたー!
このレースに劉邦もひっそり参加していましたよー!