漢の400年、、、はしょりますー
ごっつ三国ではまだ扱っていない、漢の400年間はごっそり省きますー。
大まかな解説のみ置いておきますよー。
匈奴の属国となった漢は中華の中央集権化をどんどん進めますー。
英布、彭越ら諸侯国王も漢軍に討たれましたー。
劉邦は新たな諸侯国は作らないように遺言しましたが、劉邦没後、劉邦の妻呂雉は呂氏の国を作りますー。
これが宗族主義がもたらす「外戚」という負の側面ですねー。
劉邦の妻は劉氏の人間ではなく、飽くまで呂氏の人間であり、劉氏の利益よりも呂氏の利益を優先するためこの様な裏切りが発生するわけですー。
中央集権を狙う漢王朝と自治を守りたい諸侯国のにらみ合いは数十年続きましたが、7代皇帝武帝の時代に転機が訪れますー。
なんと、地球が温暖化したのでしたー!
中華北方異民族の特徴なのですが、地球が寒冷化すると牧草を求めて南下し、温暖化すると北上し領域を拡大しますー。
北に散っていった匈奴の戦線が薄くなったところを漢が一気に巻き返し、匈奴の属国から脱出しましたー!
さらに漢の諸侯国7国(王は全て劉氏)の反乱「呉楚七国の乱」が起こりこれを平定する事で武帝は漢の郡県制を確立しましたよー。
中華全土を手中に納めた武帝は、ある日はたと気がつきます。
武帝「あれ?これって始皇帝と同じ状況じゃない??俺、ヤバいんじゃない?」
慌てて儒教を取り込む方策を検討した武帝は、儒教を統治理論から学問に変容させ、儒教を国教とし、官僚の評価基準を徳の優劣で計る制度を設けましたー。
さらには地域代表を宗族同士の話し合いによって決定させ、中央集権に対する宗族の不満を緩和しつつ世襲を防ぐというとても上手い統治機構を作りましたよー。
法治的な中央集権ではあるものの、出世は儒教理解の優劣で決めるという強固な体制は漢400年(新は無視しますー)の礎となり、泰平の時代は続いていくのでしたー!