嬴、コンドルを崇めし者!
秦の祖先は非子という人物ですー。
非子は馬の育成名人として有名でしたー。
周の孝王は非子に名馬作りを依頼し、非子は孝王の期待に応え、見事な名馬を献上しましたよー。
これを喜んだ孝王は非子に姓を与え、秦邑という牧場を作って、その邑の祖先となることを許しましたー。
この時、孝王が非子に与えた姓こそが「嬴」でしたー。
嬴はコンドルを表す象形文字ですー!
ウイグルあたりを拠点にしているペルシャ系遊牧民はコンドルを神格化し、信仰していましたー。
これは乾燥が激しい内陸で定住しないため墓を持たない遊牧民に見られる鳥葬という習慣から来た信仰だと考えますー。
非子はこのペルシャ系遊牧民出身であったことにちなんで嬴という姓を拝命しましたー。
以後、秦邑は代々周王の馬を生産する牧場として役目を果たしてきましたー。
ある日、遥か西の果てでアケメネスペルシャ朝がアレクサンダー大王の侵略によって滅びましたー。
住む土地を失ったペルシャ人は「スキタイ」と呼ばれる遊牧民となり、東へ逃亡した結果、中華にたどり着きましたー。
スキタイの中で、遊牧生活に馴染んだ者はそのまま匈奴となって遊牧生活を続け、居住地を求めた者は同じペルシャ人が祖先の秦邑に流入しましたー。
この時、秦に流入したペルシャ人が中華に初めて製鉄技術を持ち込みましたー。
弱小国家秦は鉄鉱石の産地として有名な四川一帯の僻地を抑え、製鉄に勤しみましたー!