スパイはやっぱり死刑
「支援物資が少ない!」
こんな情けない理由で蜀攻めを敢行した劉備軍にはもはや大義も何もありませーん。
劉璋から預かった兵士をそのまま蜀にぶつけましたよー。
まさに下衆の極みですねー。しかし元から劉備とはそういう人ですー。
劉備はキレやすく、すぐに恩人を裏切る癖がありますー。
五斗米道から守ってもらうはずだった劉備がいつものように裏切ったことで劉璋も流石に怒りましたよー。
劉璋軍は劉備軍に抗戦しましたが、ボロクソにやられてしまいますー。
そんな中、雒城というお城に立て籠った張任という武将が劉備軍の進軍を止めましたー。
雒城攻略に劉備軍は一年の時間を費やしますー。
その間に迎えた劉備の誕生日(7/16)劉備軍の陣内でささやかな誕生日祝いの酒宴が開かれましたー。
いい感じに酔っ払った劉備は隣に座っている龐統にカラミはじめますー。
劉備「へへへ、龐統さんよ~俺には分かってるんだぜー。あんた呉のスパイだろ?」
カラミかたが鬱陶しかった龐統はイラついたのでこう言い放ちましたー。
龐統「そうだよーん!!」
劉備「むー、ならお前、孫権のために何か策を授けたことあるんか?」
龐統「孫尚香と劉備が結婚する際、劉備を贅沢漬けにして骨抜きにする作戦、あれ考えたのわしでんねん。」
劉備「くー、あれはキツかったぜ!この正直者!気に入ったぜ!」
この一件で劉備は龐統への信頼をさらに深めたとされていますが、劉備とはそんな器の大きい人間ではありませーん。
この時おそらく劉備はこう思いましたよー。
「この野郎!嘗めやがって!ぶっ殺してやる!」
この一週間後、龐統は雒城包囲戦の最中、流れ矢に当たり死去したとされていますー。
むー、劉備さん、、、あなた殺りましたね?
ここで劉備軍の特徴についてお話しますー。
劉備軍の最大の特徴は劉備自ら先頭に立って戦闘することですー。
徐州時代は旗揚げからの参謀、簡擁という人が事前の戦闘計画を立てていましたが、この簡擁は基本的には戦場には出ません。
劉備軍は劉備が先頭に立ち士気を高め、参謀の立てた大まかなプランを頭に入れた軍人が現場の判断で指揮を採る体制になっていますー。
蜀攻めの参謀となっていた龐統も当然出陣はしていないのですが、何故かこの雒城攻めだけは龐統が劉備と共に出陣し、まんまと流れ矢に当たって命を落としていますー。
1800年前の出来事なので確たる証拠はありませんが、「落鳳坡の衝撃」の真相は劉備が龐統に下した処刑なのではないかなー?と思えてなりませーん。