万里の長城!完成!
国家法の制定、通貨の統一、言語の整理、製鉄技術の普及、尺度の統一。
数え上げればキリがないほどの功績を残した始皇帝ですが、その中でも特筆すべきは「万里の長城建設」ですねー。
万里の長城とは中華の北方を6259.6kmという途方もない距離を囲った城壁の事ですー。
匈奴というスキタイ系異民族の略奪を防ぐ事を目的に作られたとされますが、この万里の長城には特別な意味がありますよー。
その意味とは「中華の領域の確定」ですー。
中華とは中心を指す言葉であってその領域は無限に広がるのですが、始皇帝が初めて中華の領域を定義しましたー。
商邑の占いを中心に数々の邑が寄り集まることによって歴史をスタートした中華が中華思想に行き着くのは当然の帰結なのですが、万里の長城ではっきり領域を確定することによって秦統一国家はその輪郭を初めて明らかにしたのでしたー!
漢代の官僚、司馬遷は史記を書くときの取材で万里の長城を見た時こう批判しました。
「これほど壮大な建造物、どれ程民のリソースを割かせたんだー!」
でも、実はこれ勘違いなんですよねー。
万里の長城とは燕の対北方城壁と趙の対北方城壁、それに秦の城壁を結合させたものですー。
つまり元々万里の長城っぽいものはあったんですねー。
さらに言うと同じ姫氏諸侯国だった燕と趙は既に城壁を結合し、協力して北方異民族を防いでいましたー。
主な工事は1つだけ、趙城壁と秦城壁の結合でしたー。
そもそも二代15年で滅びた秦がこれほど巨大な建造物を一から作れるはずはないんですよねー。
しかし、この唯一の工事は難局を極めましたー。
ごっつ三国のマップを見ても分かる通り、弘農から天水にかけて中華の領域がグッと窪んでいます。
これは黄河の湾曲の形に沿っていますよー。
オルドス地方を匈奴にガッチリ押さえられていたため、城壁建設工事は毎回黄河を渡って来た匈奴に邪魔されましたー。
このオルドス地方から匈奴を追っ払ったのが秦の将軍、蒙恬ですー。
蒙恬は万里の長城建設の最大功績者であり、毛筆を発明した天才でもありますー。
万里の長城で領域を確定し、毛筆の発明により、秦の事務仕事を捗らせた蒙恬の秦に対する貢献度合は父蒙武を遥かに超えた物だったと言えますねー。