始皇帝、水銀中毒で死す!?
商邑の占いを中心に集まった邑性国家の殷。
商邑から占い師の座を奪い取り封建制を敷いて中華に君臨した周。
周が弱体化し、まとめ役として設置された諸侯国同士が王朝の座をかけて争った春秋戦国時代。
ここまではあくまで邑が直接民を支配していましたー。
数々の邑の調整役に国王が居るという統治構造から、始皇帝の誕生により、中華の全てが皇帝の所有物という統治構造に変化しましたー。
この新しい統一国家体制を中華の民はどう思っていたのでしょう?
姫氏諸侯国だった楚という国にいた二人の若者が始皇帝の行脚行列に出くわしたときの感想を紹介しますー!
項羽「あれが始皇帝かー!あいつをぶっ殺して俺が次の皇帝になってやる!」
劉邦「おー、あれが始皇帝かー!男に生まれたからにはああいう立派な男にならねばいかんね!」
封建制の諸侯国下で思いっきり恩恵を受けていた利得者の家系であるため、始皇帝にバリバリ敵意を持っていましたが、それに対してド平民の劉邦は始皇帝を凄い人だなーと素直に見上げていますー。
始皇帝の統治は一般民衆には心地良い物だったのかなーと想像出来ますねー。
仮に統治が上手くいってなければ自信満々で5回も全国巡幸には出掛けませんしねー。
その途中、始皇帝暗殺未遂事件を引き起こした張良も諸侯国韓の宰相の子ですー。
こうして中華の統一事業を淡々とこなしてきた始皇帝ですが、5回目の巡幸の途中で急死しますー。
一説によると寿命を伸ばす薬として水銀を服用していた事が原因の水銀中毒が死因とされていますよー。