大穴劉邦の馬鹿駆け!関中到達レースの結果は?
項羽が中華北部、旧燕、趙領ルートを通って函谷関を目指したのに対して、劉邦は武漢から蜀ルートを採りましたー。
難攻不落の函谷関を避けて蜀から直接咸陽を目指す、ある種のチキンルートですー。
出発の直前に劉邦の元に1人の老人が訪ねてきましたよー!
儒教学者の酈食其ですー!
酈食其は山賊出身の無粋な劉邦に仁義と礼儀を説きましたー。
言い返せなかった劉邦は渋々酈食其を召し抱え、側に置きましたよー。
秦の法家思想に反乱する周諸侯国の儒教思想、この構図に照らすとこの段階で儒教の専門家酈食其を配下に加えた事は劉邦の大ホームランと言えますー!
一方力任せに燕ルートを進む項羽の進軍度合いはおもわしくありませーん。
三秦軍を生き埋めにした項羽に降伏しても無駄である!
そう考えた秦軍の徹底抗戦を受けたためと司馬遷は説明していますが、実際は怪しいと考える学者も多いですよー。
項羽は叔父の仇章邯を討つことにこだわり黄河を渡ってはるばるオルドス地方の鉅鹿まで遠征していたため、関中到達レースに大きく出遅れたこと、さらにただ関中に先に入ればいいじゃん?と考えていた劉邦に対して、楚軍として秦の力の象徴である函谷関を撃ち破って見せるというロマンチシズムが項羽の進軍をさらに遅らせましたー。
秦の主な砦を撃ち破りながら進んだ項羽と、楽なルートでひょいひょい関中まで進んだ劉邦。
レースの結果は、、、勝者劉邦!!
項羽が秦の主力を撃ち破りながら函谷関にたどり着いた時には劉邦はちゃっかり咸陽を押さえてしまってましたー!
「納得いかねえ!!」と項羽が考えたことははっきり言ってもっともな感想だったと言えますー。