未必の故意殺人事件!
酈食其が斉の田広を説得に向かっているのを知りながら、韓信は斉国に攻め込み、酈食其は死にましたー。
「俺、斉の王になりたいんだけどオーケー?」
劉邦は怒り狂いましたよー!
酈食其は劉邦の許可を得て斉国に向かいましたー。
それを韓信が無視したため、酈食其は死にましたー。
謝罪の手紙かと思いきや、このまま斉の王に任命しろという無礼な手紙に劉邦は激おこカムチャッカファイヤーでしたが、ここですかさず、あのロクデナシ野郎が劉邦に進言します。
張良「韓信の力は強大です、ここで王に任命し韓信の心を掴むべきです」
この処遇に韓信は超驚いたとされています。
自分で要求したことが通って驚く、、、
これはおそらく韓信が描いた構図ではないですねー。
一般的には蒯徹(蒯良、蒯越のご先祖さま)が韓信に斉攻め、斉王に任命するよう迫るという策を韓信に授けたとされていますが、
これは張良の助けが無ければ成功しませんでしたー。
2200年前の話なので証拠はないですが、酈食其の未必の故意殺人事件。
張良さん、あなたグルですよね?
こうして韓信は斉王となり、漢陣営に参加した時点で既に王の称号を持っていた英布、彭越、韓信、韓王信(韓信とは別人)の4名が漢傘下の王になりましたー。