赤壁の戦い前夜。
青州黄巾に続いて河北袁紹の勢力を吸収した曹操は、中華の2/3を手中に納めましたー。
残る勢力は崩壊した袁術の勢力を吸収した異民族山越が住む長江以南を本拠地とする軍閥孫氏だけとなりましたよー。
ちなみに蜀は秦が鉄鉱石目当てで併合して以来、中華の範囲に入っていますが、黄河文明とは全く違う古蜀文明というそもそも発生源が違う人達が住んでいたため、基本的に中央からは無視される存在でしたー。
曹操はまず、荊州を降伏させ、荊州の水軍を得ようと考えますー。
中原で戦歴を積み重ねた曹操軍は当然水軍を持っていませんからねー。
荊州の水軍を呉の水軍にぶつけて、その間に長江を渡り呉軍の本拠地を叩く。
この戦略のためには荊州を丸ごと手に入れる必要があるわけですが、このタイミングで劉表が亡くなり、荊州で暗躍していた劉備のせいで荊州は2つに割れてしまいましたー。
仕方なく曹操は劉琮派だけを取り込み、水軍の専門家である蔡瑁に水軍を任せ、船と兵を増強しましたー。
呉の孫氏は割れた荊州の劉琦派と同盟を結ぶために魯粛という人物を荊州に派遣しましたー。
呉の祖先孫堅が劉表軍に討たれて以来、長年荊州と孫氏は敵対していましたが、劉表が亡くなった事により、過去の遺恨を捨てて手を結ぶという選択が可能となりましたー。
劉琦おぼっちゃまの周りにたちの悪いヤクザどもがたむろしていましたー。
劉琦が話は劉備にしてくれと言うので魯粛はヤクザの親分劉備と同盟の交渉をする事となりますー。
荊州劉琦派と呉の利害は一致していたため、同盟はすんなりまとまりましたー。
劉備は本当に曹操相手に勝ち目があるか不安でたまらなかったので周瑜に呉の兵力を訪ねましたよー。
周瑜は答えましたー。兵力は3万です!これで余裕っしょ!
相手は曹操軍100万、これに対して3万ってなんじゃい!
劉備は益々不安になりましたが、周瑜は余裕ぶっこいていましたよー。
周瑜はおそらくこのように考えていたと思いますー。実質、劉琮派&曹操が追加した足手まといの素人軍団vs山越と日常茶飯事で水軍戦闘を繰り返して来た呉水軍3万。
これは負けるわけがありませんねー。
さらに別ルートからの曹操軍100万の上陸を阻む役は劉琦派の水軍で余裕で事足りますー。
水上での曹操軍100万は丸っきり無力ですからねー。
こうしてかの有名な赤壁の戦いの準備は万端に整いましたー。