三国戦記 近江舞子ブログ

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赤壁の戦い、、、終了ー!


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赤壁の戦い、まずは曹操の戦略から。

曹操は主に中原で戦績を重ねて来たため、大規模な水軍は持っていません。

そこで荊州劉表の勢力を傘下におさめ、劉表軍の水軍を呉にぶつけている間に荊州ルートで長江を渡り呉に100万の軍勢で攻め込むつもりでしたよー。

しかしここでトラブル。

劉表が亡くなり、劉表軍下で暗躍する劉備荊州を2つに割ってしまいました。

さらについていない事に、曹操に徹底抗戦の構えを見せた劉琦派は江夏という荊州の東部を抑えており、荊州から呉に攻め込む陸路は塞がれてしまいましたー。

曹操は、まずは呉を無視し、荊州攻略に全力をあげようと考えましたが、なんと、犬猿の仲だった荊州劉氏と呉孫氏が同盟を結んでしまいましたー。

これにより、荊州に全力を傾けると呉が長江を渡って攻撃してくるという面倒な事態になりましたよー。

そこで曹操荊州から取り込んだ劉琮派の水軍を核に蔡瑁を水軍責任者とし、曹操軍の水軍をガッツリ増強しましたー。

大量の軍船を制作した曹操は、荊州を後回しにし、長江の最も河幅の広い「赤壁」(河幅5km)を対呉の決戦の地に選びましたよー。

こうして世にも名高い赤壁の戦いが開戦しましたー!!

初手、呉の名将黄蓋が船団を率いて対岸の曹操軍陣に火を放ちましたー!!

終了ーーーー!チーン!!

こうして曹操軍は混乱し、荊州方面からも劉琦軍が火をつけまくったため、曹操軍は大きな被害を出して中原に引き返していきましたとさ。

防衛戦であったため、呉は特に得るものが無かったため、劉琦が生きている間は荊州は劉氏の物であるとお墨付きを出し、呉は非戦闘を約束しましたー。

その代わり劉琦の死後は荊州は呉に併合するということで話はまとまりましたー。

劉琦は生涯の安寧、呉は将来の領地をそれぞれ戦果として得ることとなりましたー。