春秋戦国、始まるってよ
おさらいですー。
商邑から占い師(当時の最高権力者)の座を奪った周王朝は乱立していた邑を経済圏ごとに国というグループにまとめましたー。
そこに王という取りまとめ役を置いて統治は王に任せましたー。
しかし、この王には周王朝の姫宗族や功績のあった家臣が選ばれていたため、各諸侯王は血縁、または絆で周王朝と繋がっていましたよー。
例えば、魯という国の初代国王は周公旦(姫旦)という武王の弟が就任し、
斉という国の初代国王は殷との戦いで軍師として大活躍した太公望でしたー。
周公旦は後に重要になるので名前を覚えておいてくださーい。
王朝と王が家族の絆で硬く結ばれていたこの周の封建制は中華にかつてない安定をもたらしましたよー。
同じ国に所属していた邑同士には少しづつ連帯感が芽生え、殷の時代には2500個もあった邑は自然に統合され1500個ほどになりましたー。
こんな時間が、いつまでも続けば良いのにー。
しかし、磐石に思えた周の封建制も綻び始めますー。
周王朝成立から約300年ほど経過する間に幾度となく世代が代わり、血縁は薄れ、絆は忘れられつつありましたー。
そんな中、周王朝の12代目占い師の幽王の時代に周は異民族に襲われ崩壊しますー。
周王朝の残党が洛陽に拠点を移し、細々と周を再興しましたが、もはや周には王朝といえる力はなく、諸侯国と同列の存在に脱落しましたー。
諸侯国をグリップしていた王朝が無くなり、中華には複数の諸侯国だけが残りましたー。
むー、次の王朝は俺達だ!
諸侯国は次の王朝となって天下に号令をかけるという野望に駈られ、跡目争いを始めましたー!
この王朝不在、諸侯国同士の戦乱の時代を春秋戦国時代といいますー!