周の封建制度、磐石過ぎて泣ける
易姓革命で殷から占い師の立場を奪還した周王朝は、各地域の邑を経済圏ごとにグループ分けしましたー。
このグループの事を国と言いますー。
国内の邑のまとめ役として王という役職が生まれましたー。
周王朝が区分けした国を諸侯国といい、周王朝が任命した王の事を諸侯王といいますー。
周王朝はこの諸侯王に姫姓の宗族や功臣を赴任させましたー。
姫の宗族の諸侯王は、それぞれ独立した自治権を持っていましたが、彼らは姫宗法によって縛られていたため、宗族長の武王(姫発)に絶対の忠誠を誓い、武王の発する占いを信じることで周王朝からグリップされていましたよー。
この統治体制の事を周の封建制といいますー。
この時、楚や魏、趙、呉などの国が誕生しましたー!
これらの国の歴代王の姓は全て「姫」ですー。
武王の宗族でない別姓王の代表格は斉の太公望ですー。
こうして王朝と諸侯国は血統や主君配下の関係でガッチリ強く結ばれていましたー。
国というグループに分けられることで邑同士の結束は高まり(他のグループに負けたくないという気持ちが働くため)
邑の統合もスムーズに進むようになりましたー。
王朝から借り受けた領土ではなく、土地は王が所有する王の私物であったため、王達は自らの土地を必死に守りましたー。
この周の封建制はその後もたびたび理想の政治体制と話題に登るほど優れていて、数百年続く磐石ぶりを見せたのでしたー!