漢の統治始まる!
商邑の占いを信じることによって各邑が結ばれて出来た邑制国家「殷」
商邑を力ずくで倒し占い師の座を奪い取り、親族を諸侯国と呼ばれる各地域を与えて治めさせるという封建制を確立した「周」
周の没落により諸侯国同士が次の王朝の座を争った「春秋戦国時代」
法治を以て郡県制と呼ばれる中華初の中央集権統一国家の樹立に成功した「秦」
中央集権に反発し周の封建制に時代を戻そうと反乱を起こした「楚」
楚に対して謀反を起こした項羽の覇道を討った「漢」
漢は郡国制という独自の統治体制を取りましたよー。
郡国制とは漢王朝が成立した時点で既に王として国を所有していた者の立場はそのまま維持し、それ以外の土地には郡を定め直轄地として治める体制です。
周の封建制と秦の郡県制の折衷案と見られがちですが、これはただ現状を追認しただけで制度と言える程の物ではありませーん。
この後漢はジリジリと諸侯王から国を奪い取り、秦の郡県制を目指すのでしたー。
漢の諸侯王、斉王韓信は斉王を解任され、韓信の出身地である楚の王に封じられましたー。
大国楚の王に封じられる事は栄転と言えますが、劉邦は斉を直轄地として信頼のおける古参の曹参に治めさせ、漢と斉で楚を挟む形で韓信を監視しましたよー。