諸子百家ってなんじゃらほい?
周王朝が諸侯国を誕生させ、周王朝と諸侯国王は血縁や絆でガッチリ結ばれていたのですが、代を追うごとにその血縁と絆は薄れ、ある時、異民族に周王朝が倒されましたー。
これによって王朝不在、諸侯国が次の王朝の座を争う戦乱の時代、春秋戦国時代という地獄が始まりましたー。
この地獄の状況から抜け出すべく、平和な統治方法について中華中の賢い人達が真面目に考え始めましたー。
議論の叩き台を用意したのは魯国の学者、孔丘さんでしたよー。
孔丘は魯国の初代王、周公旦の大ファンでしたー。
孔丘さんはこのように考えましたよー。
「戦乱の原因は諸侯王達が姫宗族の宗法を忘れたせいだー!姫宗族は姫氏のために尽くす!これを取り戻せば中華は安定する!」
周公旦が築いた周の封建制、これこそが理想の統治方法であると考えたんですねー。
こうして孔丘さんは中華に現存する多数の邑の宗法を調査し、宗法を体系的にまとめた儒教という教えを確立しましたー。
この儒教があらゆる議論の叩き台となり、孔丘は孔子と呼ばれ(子は先生という意味ですー)たくさんの弟子を育成したのでしたー!
この孔子の儒教への賛否、理想の統治について数々の提案を行った人物達を諸子(複数の先生)
その子の弟子達を百家(たくさんの学派)
つまりは、諸子百家と言いますよー。