三国戦記 近江舞子ブログ

ごっつ三国、一騎当千サーバー、三国戦記所属、アカウント近江舞子のブログですー。

儒家と法家!勝者は法家ー!

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春秋戦国時代は、姫氏の宗族長が治める周王朝が崩壊し、残された姫氏諸侯国同士の次の王朝、及び姫宗族長の座をかけた跡目争いという形でスタートしましたー。

孔子は宗族は宗法に従って家族の序列を割り出し、序列1位の族長に皆が従うべきだと考え、宗法をまとめた儒教を産み出しましたー。

儒教は宗族の序列を宗法ではなく、武力に求めた諸侯国王達をたしなめるための物ですー。

姫宗族は族長を決めきることが出来ず約500年も睨みあっていましたよー。

儒家は王朝と諸侯国が再び固く手を結ぶ国家統治を目指し、法家は統一国家法によって中華を1つの統一国家とする統治を目指しましたー。

時代が進み、諸侯国の分断が進むほどに儒家の統治方法は現実味を失い、逆に中東からのイノベーションをいち早く取り込んだチート国家「秦」の登場によって法家の統治論はいよいよ現実味を増していきましたー。

要するに、法家統治は国家法を全中華に強要出来る圧倒的暴力が必要だったわけで、その候補として秦が登場したという構図ですー。

韓の王子だった韓非子の登場で、中華の法治思想は完全に固まりましたー。

韓非子の新しい部分は、王には王専用の、臣下、民にもそれぞれ専用の法を用意し、その法を破った者には王であろうが容赦なく罰するという国家法を社会階級ごとに用意したところでしたよー。

この韓非子の理論に秦王嬴政は心酔しましたー。

その心酔ぶりは「韓非子とお話出来るんなら死んでも悔いはありませーん!」という言葉を残すほどでしたー。

韓非子は秦に迎え入れられましたが、韓非子の実力を若輩の頃からよく知っていた秦お抱えの法家学者、李斯が自分の立場を脅かされるのを恐れ、韓非子を亡きものにしてしまいましたー。

こうして秦が中華を統一した際、法家の統一国家論が採用され、姫宗族の宗法で国家を統合すべきという儒家思想は完全に排除されたのでしたー。