正統性の逆転!儒教の反撃に乗る劉邦。
さて、劉邦は項羽から左遷され、漢中という僻地に飛ばされますー。
こうして秦の次の王朝は楚王朝となりましたー。END!
とはなりませんでしたよー!!
義帝として皇帝に即位した懐王は懐王之約を完全に無視した項羽を苦々しく思い、楚王には任命しませんでしたー。
これに怒った項羽は義帝を殺害してしまいましたー!!
秦の法家統治に辟易していた各地の宗族が、楚の秦に対する復讐に乗っかった。
楚の反乱が成功した理由の多くはここにありましたよー。
「法家から儒家の時代に巻き戻す!」
この旗印が楚の力の源泉になっていたわけです。
しかし、主君殺しという儒教の禁忌を犯してしまった項羽の元から、宗族を尊重しろ!という勢力が一気に離脱してしまいましたー!
左遷されたとはいえ、楚の将軍であった劉邦は、主君懐王の敵討ちを旗印に掲げ、打倒項羽を打ち立てたため、中華の各宗族は劉邦に味方する様になりましたよー。
元々儒教を毛嫌いしていた無頼派の劉邦でしたが、儒家の重鎮、酈食其を側に置いたことで周囲からは徳を以て国を治める儒教の代表選手の様に受け取られましたー!
こうして主君殺しで徳を失った項氏から徳治を掲げる劉氏に統治権が移行する、いわゆる易姓革命の体裁が完全に整いましたー!
私個人は漢建国に最大貢献したのは酈食其だと思っていますー!