国家権力vs宗族の構図、はじまる
上に政策あらば下に対策あり。現在の中国人にも「法は破るためにあるのだー!!ふはははは!!」という、いただけない態度が目立ちますー。
特に法律に従順な日本人から見たら異質な人達に見えますよねー。
しかし、彼らは無法者ではありませーん。
中国人は今でも宗法に従順に生きていますー。
祖先から連なる無数の先祖が守り、繋いできた宗法、中国人は生まれながらにして既に守るべき絶対法を抱いているため、
「国家法?国際法?知らねーんですけど!!」
という宗法と矛盾した法を軽んじる態度に出る訳ですねー。
例えば「賄賂を受け取ってはいけない」という国家法も「一族のために出来る限り財産を持ち帰らなければならない」という宗法の前では霞んでしまうというわけですー。
秦王嬴政は、史上初めて中華を統一国家にまとめあげましたー。
嬴政は、それまでの、王朝が諸侯国王を任命し、土地を与えるという封建制は採用せず、
中華を郡に分け、そこに中央から官僚を派遣し、任期付きで統治させる郡県制を敷きましたー。
土地を王に与えずに、全ての土地を嬴政が所有するという方式ですー。
全中華の所有者、このスケール感を表現するのに王という称号では全く足りなかったため、嬴政は「皇帝」という新たな概念を生み出し、自らを始皇帝と名乗りましたー。
始皇帝は郡や県に知事を置くだけに留まらず、邑の中に官僚を送り込み統治させようとしましたー。
これが各邑の宗族長の反発を招きまくりましたよー!
祖先が村を作り、城壁を築いて以来、その土地はずっと宗族の物と扱っていたところに、急にやってきた中央の官僚が「今日からこの土地は皇帝のものなのだー!ふはははは!」
と言っても納得は行きませんよねー。
こうして中華に国家権力vs宗族という対立構図が生まれたのでしたー。
この始皇帝から生まれた対立構図は現在でも色濃く残り、宗族を破壊し、中華の民全てを国家に従わせようとするプロジェクトは毛沢東、習近平にも引き継がれて行くのでしたー!