官渡の戦い前夜。
徐州がややこしくなっている頃、河北では袁紹が宿敵、公孫瓚を滅ぼしましたー。
その際に袁紹が皇帝に担ごうと考えていた劉虞が公孫瓚に殺害されたため、袁紹の天下人構想は頓挫しましたー。
196年に長らく行方不明だった劉協が曹操に保護されると天下の流れは一気に曹操に向きましたよー。
これに焦って待ったをかけた袁術は197年に自ら皇帝を自称し、国号を「仲」と定めましたー。
こうして漢皇帝劉協vs仲皇帝袁術の戦いが勃発しましたー。
袁術と陶謙が仲違いしたとはいえ、徐州は元々袁術側の勢力だったことと、曹操が行った徐州大虐殺の恨みで徐州が敵側に回ることを懸念しての手当てでしたー。
劉備はすぐさま袁術に軍を向けますが、劉備軍が出払っている隙を突いて客将の呂布が徐州を乗っ取ってしまいましたー。
帰る城も補給も失った劉備軍は袁術軍とまともに戦えず、大半が飢え死にしましたよー。
流石にやり過ぎたか?と思った呂布は劉備と袁術の間に立ち、和解させますが、結局呂布は劉備軍を攻め滅ぼし、劉備は曹操の元に身を寄せましたー。
曹操は劉備を厚遇し、曹操&劉備vs袁術&呂布の構図となりましたー。
曹操と劉備はまず呂布を攻め滅ぼし、そのまま袁術軍も滅ぼしましたー。
袁術は長年敵対していた袁紹を頼り、失意の中河北へ向かう途中、1斗「18リットル」の血を吐いて死亡しましたよー。血多いですねー!
こうして皇帝劉協を抑えた曹操と天下人への算段を持たない袁紹の天王山、官渡の戦いに突入するのでしたー!!