裏切り王、劉備!
敵対していたとはいえ、最後に和解した袁紹と彼の腹違いの弟袁術。
しかし曹操に攻められ、敗走を続けた袁術は健康を害して河北に向かう途中に死亡しましたー。
これを期にかつては盟友だった袁紹と曹操の対立は明確になりましたよー。
一方の曹操は客将として受け入れていた劉備を大変気に入っていましたー。
何処に行くにもお供につけ、自分の馬車に一緒に乗せて回った程ですー。
演義では
曹操「中華の英雄は君と余だ!」
雷ゴロゴロー!
劉備「ぎゃー雷怖いー!」
とかやってた頃ですー。
曹操は劉備に官職を与え、袁術と戦わせるため兵を与えて徐州に入らせましたー!
曹操に敗北し、河北に向かおうとする袁術の道をふさいだのはこの劉備軍ですー。
劉備に行く手を遮られた袁術が死亡すると劉備は突然曹操を裏切り、曹操配下の徐州刺史、車冑を殺害しましたー。
突然の劉備の裏切りに激怒した曹操は徐州に向けて劉備討伐の軍を出しますー。
ここでもやっぱりボロ負けした劉備は袁紹に寝返り河北に逃げましたー。
呂布の裏切りも大概ですが、この劉備の節操ない裏切り体質が事態をさらに悪化させていきますねー。
ここで劉備の身の振り方の履歴をおさらいしておきます。
旧知の仲だった公孫瓚の援助で挙兵した劉備は袁術、公孫瓚、陶謙の陣営に入ります。
陶謙が曹操に狙われると公孫瓚の配下として徐州に援軍に入ります。
徐州はダメだと判断した陶謙に劉備は徐州太守を押し付けられます。
袁術陣営に来たばかりの呂布はこの劉備の裏切りを良しとせず、留守の徐州を乗っ取りますー。
和解に応じた劉備でしたが、背後を突いた呂布を許せず、呂布に兵を向けたので呂布は劉備軍を撃退しましたー。
兵を失った劉備は完全に袁術陣営を裏切り、袁紹陣営の曹操を頼りましたー。
袁術死亡直後、劉備は曹操を裏切り、徐州にいる曹操配下武将を殺害しましたー。
激怒した曹操は劉備を攻め滅ぼしますが、袁術死亡で曹操と気まずくなった袁紹を頼り河北に逃げるのでしたー。
むー、劉備はかなりの悪だと見て間違いなさそうですー!