宦官趙高、、、ヤバい!
始皇帝の側近に趙高という人物がいましたよー。
彼は始皇帝の母、趙姫の一族です。彼は趙姫の世話をする宦官でしたよー。
宦官とは皇帝の配偶者の世話をするために生殖器を除去された人のことですー。
男系男子を中心とした宗族において、生殖能力が欠如した人は差別の対象になりましたー。
この趙高も例に漏れず、宗族からは完全に切り離された存在でしたー。
始皇帝が趙高を側に置いた理由は趙高が並外れた記憶力を持っていたからですー。
どんどん増えていく秦の国家法を全て暗記していた趙高は始皇帝の記憶のメモリ代わりに側に置かれていたわけですー。
始皇帝「こういう場合は法律的にはどうなってるん?」
趙高「ここにこういう法律があるので、それに照らすと、、、」
むー、これは便利!手放せませんねー。
5度目の行幸の際に、始皇帝が死去。これを見つけた趙高は豹変しますー!
趙高は始皇帝の死を隠し、跡継ぎを長男の扶蘇から18男の胡亥に遺言状を勝手に変更してしまいましたー!
扶蘇は法治の徹底に懐疑的で、儒教の中華への浸透具合を無視してはいけない!
と度々始皇帝に忠告していましたよー。
始皇帝と扶蘇は度々意見が食い違い、言い争うこともありましたが、始皇帝は扶蘇の仁義と聡明さをとっても評価し、2代目は扶蘇しかあり得ないと遺言状にしたためていましたー。
扶蘇が2代目となれば法治は後退する、そうなれば法律に詳しいだけが取り柄の趙高の立場は低下しますよねー。
それを怖れた趙高の犯行というわけですー。
都に戻ってきた趙高は始皇帝の遺言書き換えの共犯者を探しますー。
白羽の矢が立ったのは丞相の李斯でしたー!
法治の発案者である李斯は扶蘇の儒教を蔑ろにしない姿勢を苦々しく思っていましたー!
こうして法治こそ全てと考える李斯と、ただ記憶力だけが優れていた趙高は手を組み、秦最悪コンビが誕生しましたー!