皇帝が行方不明?乱世必至ですー!
帝を連れて長安に遷都した董卓を反董卓連合軍は追いかけませんでしたよー。
それほど函谷関は守りに長けた関所でしたー。
さらには連合軍のリーダー袁紹は何氏の息のかかった劉弁を正式な帝と考えていたため、董卓が勝手に即位させた劉協にはさほど価値を感じていなかったのかも知れませーん。
董卓を討ち取って帝を奪い返す事を主目的としていた曹操や劉備は袁紹との思惑のズレが原因で連合軍から抜けてしまいますー。
こうして連合軍はグダグダになりフェードアウトしていきましたー。
ほどなくして、長安の董卓は部下の呂布に暗殺されるという冴えない最後を遂げましたー。
こうして都長安と帝劉協を握った呂布が次の天下人、、、とはなりませんでしたー。
董卓の部下、李傕、郭汜、賈詡らに攻め入られ、呂布は長安から追い出されて放浪の身となりましたー。
次の天下人は李傕か郭汜か?
この2人は仲間割れを始めて長安は戦火にみまわれましたよー。
これはたまらんという事で帝劉協はお付きの官僚に連れられて長安から逃亡し、行方不明となりましたー。
さて、中華の頂点に立つ皇帝が不在となり、漢王朝はいよいよヤバい感じになってきましたー。
この皇帝不在の状況が続いたために、諸侯はそれぞれ新たな統治体制を模索し始めましたー。
袁紹は劉虞という漢王朝の血を引く人物を次の帝にしようと画策し、
偽帝と言われた袁術の案は中華の歴史に照らせばそれほど珍しい話ではなく、これを実行しようというものが現れるほど、洛陽が焼け落ち、皇帝が行方不明状態の漢の命運は風前の灯火となったのでしたー。