反董卓連合軍
天下人の座を横取りしてしまったことを気にして、董卓は袁紹にかなり気を遣っていましたが、袁紹の怒りはおさまりませんでしたよー。
袁紹「この名門、スーパーエリート袁紹さまがあんな僻地の田舎者の下につけるかー!」
この袁紹の意見に同調する人がいましたー!
「はげ同!あんな田舎者は俺が暗殺してやる!」
父が三公だった名門夏候氏のシティボーイ曹操ですよー。
董卓暗殺を決行した曹操でしたが、作戦は失敗に終わり追われる身となりましたー。
後に退けなくなった曹操は董卓大嫌いな袁紹を動かし、反董卓連合軍を組織しますー。
庶民経済を建て直す政策を連発する董卓をいぶかしく思っていた中華の既得権益者はこぞって連合軍に参加しましたー。
董卓の理念は一貫していましたー。
「人の上に立つものは優れた人物でなくてはならない」
劉弁より弟の劉協の方が優れていると見た董卓は皇帝を劉協に勝手に変更してしまいましたよー。
外戚である何氏の力を削ぐ狙いもあったのかも知れませんが、田舎育ちの董卓にはロイヤルという概念は理解出来なかったのかも知れませんねー。
この行為が連合軍をさらに膨らませてしまいましたー。
連合軍の主な勢力は4代三公でお馴染み、袁紹と、同じく袁氏の袁術、さらには父親が三公の曹操。この三勢力でしたー。
中でも呉の軍閥孫氏を配下に持つ袁術の勢力は強大で、孫堅率いる呉軍閥はすぐに漢軍最強の将軍華雄を討ち取ってしまいましたー。
虎牢関を抜かれた董卓は敗北を悟り、洛陽を捨てて帝を連れて長安に遷都しましたよー。
さて、ここで地理のお話、中華の2大首都と言えば洛陽と長安ですねー。
この2つの都市の間には函谷関という中華最強の関所がありますー。
帝の敵が中原にいる時、東からの侵入を函谷関で防ぐため、首都は長安になりますー。
そして中華が泰平となると敵は異民族ということになり、西からの侵入を函谷関で防ぐため、首都は洛陽となりますー。
項羽を敵と見立てた劉邦は首都に長安を選び、匈奴を敵と見立てた光武帝は洛陽を首都に定めたというわけですー。
董卓の遷都は古代中華の基本戦略に基づいたものでしたよー、